和歌山県神社庁は「万葉集」にも詠われる和歌浦の地にあります。

和歌山県にある神社を総合的にご紹介【和歌山県神社庁】

和歌山県神社庁

和歌山県の総合神社紹介【和歌山県神社庁】

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熊野三所大神社

熊野三所大神社 くまのさんしょおおみわやしろ

  • 盒供\擬
  • 〒649-5314
    東牟婁郡那智勝浦町大字浜ノ宮350
  • 0735-52-1646(八幡神社勝浦)
  • 夫須美大神 家津美御子大神 速玉大神

丹敷戸畔神社 三狐神社

秋葉神社 稲荷社 愛宕社 金刀比羅社 山狐神

2月14日(直前の土曜日)

秋葉神社例祭(2月28日) 早苗振祭(5月末日曜日) 當家祭(11月15日)

大神社明細帳(冩) 棟札〈慶安元(1684)年本殿改築〉 烏牛王宝印板木額(熊野三所大神正二位勲一等伯爵源朝臣通禧書印)

主祭神三軀(国指定重要文化財) 浜ノ宮王子社跡(国指定) 石灯籠(町指定) 三所権現社棟札(町指定)

本殿(木造檜皮葺三間社流造 34,45屐 割拝殿(木造銅瓦葺入母屋造 87,68屐 神輿庫(5,91峇泙燹 石宝殿(丹敷戸畔神社) 石宝殿(三狐神社) 重要文化財収蔵庫(鉄筋コンクリート造 21,64屐 鳥居(石造) 制札舎(木造銅瓦葺) 手水舎(木造銅瓦葺)

1,629屐ゞ内山林625屐“地境内地165.28

当神社は、熊野権現三神、即ち夫須美大神、家津御子大神、速玉大神を祭神としている。
所有する古文書の中の明細帳(昭和初期の模写)によれば、村社大神社、祭神天照皇大神、配祀彦火火出見尊、大山祇命とあり、又由緒として、祭神寛文記に熊野三所権現とあり、又王子社ともいう。
『平家物語』の維盛の記述に「三の御山の参詣、事故なく遂げ給ひしかば、浜ノ宮と申し奉る王子の御前より一葉の船に棹さして万里の蒼海に浮び給ふとあるは當社なり、藻塩草當國の部に渚宮とあるは即ち當社なり、寛文記に當村を渚宮とあり、往昔神武天皇丹敷戸畔を誅し給ふ地なりと言ふ」と記されている。
明治6(1864)年、村社となる。
同40年4月1日、神饌幣帛料供進指定神社になる。
社殿創立については、明細帳に「上古祭場の遺跡につき、欽明天皇ノ御宇に社殿創立せしものなりと伝ふ」、『熊野年鑑』に「欽明天皇二十四(563)癸未年熊野浜ノ宮成」とあり、又、『熊野年代記』に「欽明天皇二十四(563)癸未年浜ノ宮宮殿出現」とある。
本社古伝に依れば「往古は唯祭壇のみ在り、社殿造立は前記時代を創始とす」とある。
社殿造営は、社宝の棟札によれば、慶安元(1648)年の再建と伝えられる。
其の後、享保19(1735)年に修復の棟札に、紀伊国主権中納言從三位源朝臣宗直監議奉行家達(水野大炊頭、安藤帶刀)とあり、那智山や浜ノ宮の他の建物と共に修復された。
『日本の美術誌』第225号(昭和60年2月発行)に、3神像の写真が掲載され、次の様な記事が載った。
「現在の社殿は慶安元(1647)年の再建と伝えるが、三間に分れて祀られている、祭神は彦火火出見命、大山祇命、天照大神と伝えており、その尊名は何らかの根拠によって近世付されたものであろうが、三体一具同作であり、熊野三所権現とみて間違いない、その形状から、巾子冠を戴く男神像は家津御子、宝冠像は速玉大神、女神像は夫須美神とみてよい」と述べられている。
昭和57年6月5日に国の重要文化財に指定され、昭和62年1月神社庁の認可により、中央神は夫須美神、右側神は家津美御子神、左側神は速玉神となり、神社名は大神社から熊野三所大神社と改名された。
(例祭)
2月13日の宵宮祭には深夜に、6人の射子奉仕者が裸で、社前200m余の海浜まで7度半馳足で往復して潮垢離を取って潔斎し、その夜は篭所に泊り、翌14日の例祭にはお弓行事を行う。

写真情報

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