和歌山県神社庁は「万葉集」にも詠われる和歌浦の地にあります。

和歌山県にある神社を総合的にご紹介【和歌山県神社庁】

和歌山県神社庁

和歌山県の総合神社紹介【和歌山県神社庁】

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須賀神社

須賀神社 すがじんじゃ

  • 前芝 弘知
  • 〒645-0027
    日高郡みなべ町大字西本庄242番地
  • 0739-74-2204
  • (主祭神)素盞鳴尊 櫛稲田姫命  八柱御子神  (配祀神)大国主神 事代主命  櫛八玉神 大歳主神  御年主神 若年主神 蛭子神

大国神社 事代神社 櫛八玉神社  大歳神社 御年神社 若年神社 戎神社

弁天神社(熊岡鎮座) 小殿神社(晩稲鎮座) 大神社(東本庄鎮座) 他21社

10月9日

えびす祭(1月9日・10日・11日) 母子祭(5月5日) 梅の日式典(6月6日・隔年) 競馬(10月9日)

絵馬(十数点)

本殿(3社) 棟札(32枚 県指定文化財)  木造黒馬(村指文化財)

本殿(第一殿 木造檜皮葺春日造 7,4屐 本殿(第二殿 木造檜皮葺春日造 7,4屐 本殿(第三殿 木造檜皮葺春日造 7屐 拝殿(木造銅板葺破風造 44屐 儀式殿(木造瓦葺シコロ建 66屐 絵馬舎及参集所(木造瓦葺破風造 99屐 社務所(木造瓦葺切妻造 82屐 神輿庫(木造瓦葺 16屐 手水舎(木造瓦葺平屋造 8屐 一ノ鳥居(コンクリート造明神鳥居) 二ノ鳥居(石造稲荷鳥居) 高麗犬(1対 石造 高1,5m) 青銅神馬(1対 馬高1,8m)

14,355屐ゞ内山林 61,327

みなべ町大字(西本庄・東本庄・晩稲・熊岡・谷口・筋・徳蔵・新庄・気佐藤・山内・堺)

勧請年は詳かではないが一条天皇の御宇、神祇大副吉田兼延の三男従五位下吉田宗沢延春が山城国祇園神社より、吉田氏の祖郷の産土神を此の地に勧請したのが始まりとされる。
本神社は、祇園御霊宮と称し、南部荘の総鎮守とされていた。
旧南部町、旧南部川村の氏神である。
御鎮座の際、勅使がおいでになったようで、その時の屋敷跡といわれる柱礎が現存する。
今に其の屋形跡の御前にて祭礼の儀式を行い勅使の遺風伝われり。
棟札古文書等には、明徳年間(1400年)に領主愛洲氏、社殿造営し、永正年間(1504年)には、地頭小野氏の崇敬また厚く社殿再興し神戸神馬を献じ、慶長年間(1596年)浅野氏、田辺城主たるや親しく社参の儀あり、木造黒馬(現村指文化財)を献じ、以後例祭には田辺藩主の代参ありたりと云う。
江戸時代、寛文年間(1661年)には紀州国主徳川鮴觚の崇敬甚だ厚く、熊野巡視の機ある毎に社参せられ、御幕獅子1対、三ツ具足、葵の彫物、高張提灯、絵馬等の寄進あり、以後、元禄(1688年)、享保、安永、寛政(1789年)の世に至るまで、累代国主の金品の寄進尠からずという。
明治維新前、神仏習合時代には御霊さんと呼ばれ、特に京都祇園八坂神社よりの勧請社たりし故、祇園御霊宮と称されていたが、明治元年の太政官達により同年3月28日須賀神社と改称せられた。
千年の久しい間、歴史上由緒深い社号であるので、未だに一般に奥の御霊さんの通称がある。
当社は遠き昔から、御由縁深い須賀の森山腹に鎮座ましましたと伝えられているが、何時の世の頃よりか現地の山に移祀されたものと思われる。
現地のお山は一夜にして出来たので、夜の山とも云い伝えられている。
又、旧社地跡と思われる地域には平坦な馬場跡もあり、旧祭器具類と思われる弥生式土器の破片も数々発掘された。
社殿は、天正(1585年)の兵災にあって焼失したが、領主、地頭の手によって再興再建され、以後幾度の御屋根替等も行われているが、その棟札も30数枚の多きに上り、現在の建物は江戸中期次後の建立になるものであり、3殿ともよく整った形態を備え、豊冨な彫刻を飾っている。

写真情報

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