和歌山県神社庁は「万葉集」にも詠われる和歌浦の地にあります。

和歌山県にある神社を総合的にご紹介【和歌山県神社庁】

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和歌山県の総合神社紹介【和歌山県神社庁】

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丹生都比賣神社

丹生都比賣神社 にうつひめじんじゃ

  • 丹生 晃一
  • 〒649-7141
    伊都郡かつらぎ町大字上天野230番地
  • 0736-26-0102
  • 丹生都比賣大神  高野御子大神  大食都比賣大神  市杵島比賣大神

若宮社(天野検校行勝上人) 佐波社(丹生都比賣大神他)

10月16日

銀銅蛭巻太刀(国宝)  本殿(4棟 重要文化財) 楼門(重要文化財) 木造鍍金装神輿(重要文化財) 兵庫鎖太刀(重要文化財) 金銅琵琶(重要文化財) 狛犬(4対 重要文化財) 法華経(8巻 重要文化財)  鼓胴(3面 県指定文化財) 楽太鼓縁(1対 県指定文化財) 瑞華双鷲八鏡(1面 県指定文化財) 石造五輪卒塔婆(4基 県指定文化財) 天野の御田祭 (県指定無形文化財)  境内(国指定史跡)

本殿(木造檜皮葺春日造 4棟) 拝殿(木造銅板葺) 神饌所(木造銅板葺) 楼門(木造檜皮葺入母屋造) 社務所・貴賓館(木造銅板葺) 収蔵庫(鉄筋コンクリート) 輪橋(木造一部石造) 外鳥居(木造)

23,000

旧社家の居住した天野地域

紀伊山地の入り口にあたる、標高450mの盆地である天野の地に神社が創建されたのは、今から1,700年以上前と伝えられる。
『丹生大明神告門』によれば、丹生都比売大神は、天照大御神の御妹神で、稚日女尊とも申し上げ、紀ノ川流域の三谷に降臨、紀州・大和を巡られ農耕を伝えられ、この地に鎮座せられたとある。
また、『播磨国風土記』によれば、神功皇后出兵の折、大神の託宣により、赤土を賜り、これを天逆鉾に塗り船に立てたところ、戦勝することが出来たため、これに感謝し応神天皇が社殿を造営され、紀伊山地の北西部一帯を神領として寄進されたとある。
今も大神を御祭神とする神社は県内80社をはじめ、全国約180社を数え、当社が本社である。
さらに、『日本書紀』に神功皇后が新羅より帰還された後の記事として天野の祝(神職を意味する)が登場することから、神社の奉斎が古くから行われていたことを示すものとされている。
式内社としては、名神大社に列し、月次、新嘗の幣帛に預る。
また、蒙古襲来の後、紀伊国一之宮ともなった。
これは、幕府が当社に異国降伏を祈願したところ、大ガラスが飛び立ち暴風が起こって元の軍船を壊滅させた御神威が理由とされる。
社格制度上では、大正13年に官幣大社に列格している。
信仰的には、真言密教との密接な関係を保ってきた神社として知られる。
弘法大師は、丹生都比売大神より神領を借受け、高野山の壇上伽藍の御社に守護神として大神を祀り、真言密教の総本山を開いた。
大神の御子の高野御子大神は、弘法大師空海の前に、白と黒の犬を連れた狩人に化身して現れ、高野山へ導いたと今昔物語に伝わる。
また、古来、高野山への参詣者は、表参道である町石道を登り、途中にある二つ鳥居からまず当社に参拝するのが習わしであった。
鎌倉時代から明治の廃仏毀釈までは、当社の周囲には、数多くの堂塔が建てられ、惣神主をはじめ社家19家と社僧、神子、神楽男総勢56人で護られてきた、その間、舞楽法会が行われている。
これは、都からの伶人30余名による舞楽が奉納され、高野山の僧侶100余名による法会が、国の安泰を祈る行事として、社頭で行われたものである。
神社の社殿は、鎌倉時代に、行勝上人により、大食都比売大神と市杵島比売大神が勧請され、現在の4殿となり、室町時代に火災により消失するが、すぐに復興されている。
朱塗りに彫刻と彩色を施した社殿は、春日造では日本一の規模を誇ると言われる、楼門とともに重要文化財に指定されている。
鏡池に架かる朱塗りの太鼓橋は、天野盆地の里山の風景に溶けこみ四季折々に姿を変える。
主なご祭礼としては、例祭は秋の大祭として斎行され、春の大祭としては、4月第3日曜日にご祭神に花を供える花盛祭があり、この日渡御の儀が行われご神幸がある。
他に、1月第3日曜日に行われる御田祭があり、起源は平安時代後期とされる豊作を祈る農耕神事である。
平成16年、「紀伊山地の霊場と参詣道」として、世界文化遺産に登録された。

写真情報

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