和歌山県神社庁は「万葉集」にも詠われる和歌浦の地にあります。

和歌山県にある神社を総合的にご紹介【和歌山県神社庁】

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和歌山県の総合神社紹介【和歌山県神社庁】

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粉河産土神社

粉河産土神社 こかわうぶすなじんじゃ

  • 中山 淑文
  • 〒649-6531
    紀の川市粉河2788番地
  • 0736-73-2415
  • (主祭神)丹生津比賣命 天忍穂耳命 (配祀神)大伴孔子古命 大伴船主命

大神社 須佐神社 熊野神社 吉野神社 天福神社 五社神社(北野神社 多賀神社 日吉神社 一言主神社 楠神社) 護國神社 白山神社 稲荷神社

7月最終の土曜日・日曜日

御湯上げ神事 稚児精舎入り神事

神輿(2基) 駕籠(1基)

粉河祭(県指定文化財)

本殿第一殿(木造銅板葺唐破風春日造 16,5屐 本殿第二殿(木造銅板葺唐破風春日造 16,5屐 拝殿(木造銅板葺入母屋造 49,5屐 儀式殿(木造銅板葺入母屋造 45,4屐 控所祭具所(木造銅板葺入母屋造 19,8屐 廻廊(木造銅板葺 23,3屐 神輿庫(木造瓦葺切妻土蔵造 49,5屐 護國神社(木造銅板葺切妻造 29,4屐 白山神社(木造銅板葺春日造 5,1屐 天福神社(木造銅板葺春日造 3,7屐 社務所(木造瓦葺平屋一部二階建 231屐 鳥居(金属,明神造)

6,240.3

紀の川市(粉河・中山・猪垣・藤井・中津川・東毛・松井)

当神社は宝亀年間(770)大伴氏が粉河寺を創始するに際し、鎌垣庄内各村の氏神を勧請して祀るのに始まり、現在は粉河郷の総社である。
当国藩主累代の崇信を得て、年々の祭礼には1,000人扶持を下賜されていた。
平安・鎌倉以来朝家公郷の信仰厚く、正暦2年11月28日從五位上左小辨藤原朝臣説教、正六位上右小史物部宿弥並に保延4年3月25日正四位下左近衛中将兼美作介藤原朝臣公能、久安2年4月29日主典代兼播摩権介皇后宮大夫大江朝臣等の諸公郷よりの、『院廰下古文書』等(粉河寺蔵)に、粉河寺鎮守として本社の神徳を宣揚する旨を明記され、且つ大江朝臣の文には粉河寺並びに本社祭神丹生大明神供物の料として、県下海草郡栗栖庄を寄進せらるる旨を明記し、『紀伊続風土記』に記載せられ、今に尚本社祭礼渡御式には、栗栖庄座中より雅児が参列するのである。
渡御式は保延年間徳大寺参拝より始まり、藩主の中にも藤堂佐渡守天正年間渡御を再興せられ、又現在渡御用神具は藩主徳川氏の寄附による等の沿革があり、今に鎌垣庄10ヶ村の氏子住民祭礼に参加する。
鎌垣庄共有山は当社祭礼並びに修繕料として弘治3年氏子中へ寄附せられたものである。
神輿2基は駿州久能山より金銅葵紋付神酒瓶子2対及び長柄提子1基と共に寄進せられたもので、延宝己未7年5月の作である。
尚今の水引は天保年間藩主徳川治宝郷より寄進せられたもので、葵紋は大和錦の華麗な物である。
粉河祭礼渡御式には旧藩時代、代官をして検分せしめた程格式があって、和歌祭の始まりもこの祭に起用したと『栗栖御記』にある。
名物の山車は明神への献燈と『紀伊名所図会』に記され、灯明台と言伝えている、特殊な格恰であり全国でも当社のみと言われヒゲコ山車と分類されている。
大正元年旧長田村松井の丹生神社を合祀、同年粉河町東毛の大神社をも合祀、大正8年粉河町粉河天福神社を境内社として合併し、近年には昭和7年、38年、平成3年に正遷宮を執り行い現在の如く整備されたものである。
(社叢)
神社は元粉河寺の鎮守としての性格上廻りは全て寺領であり、神社の森は極めて小さいが幸い大樹によるのと後は山であるので、森巌さを保持している。
(例祭)
7月最終の土曜日の宵祭りには、御湯上げ神事があり、渡御式参加の稚児の精舎入り神事等がある。
翌日曜日の本祭渡御式は旧町内表通りを、古式に従い厳粛に而も絢爛たる行事が行われるのである。
(経塚)
昭和34年4月16日皇太子殿下御成婚記念植樹の際発見し、昭和35年3月31日国有に決定。
出土品、陶製経筒1、銅製経筒1、紙本経巻8、天治2年9月5日 助教清原信俊(六口大法師)
奈良国立博物館に展示されている。

写真情報

粉河産土神社 こかわうぶすなじんじゃ
本殿

和歌山県神社庁  /  〒641-0022 和歌山市和歌浦南3-4-10  /  電話 073-446-5611

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